人気ブログランキング | 話題のタグを見る

「またくだらないことばっかりして!」は最高の褒め言葉だと思ってます。
S M T W T F S
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
交錯しない世界
「ほら、見て。あそこにいる水鳥の羽は七色していてまるで虹みたい」

「うん。綺麗だね」

僕は彼女の言葉を否定しなかった。


雨上がりの湿った空気と土の匂いが充満する公園では、まだ新緑が芽吹かない木々たちもここ数日の雨ですっかり水気を吸って精気を蓄え、来るべき季節に向けて幹の色を濃くしている。
公園には僕らと同じく散歩しているカップルや、ジョギングをしている中年のおばさん、大きなキャンバスに写生をしているおじいさんなど、それぞれが皆、冬の終わりを告げる雨からの解放感を楽しんでいた。
春間近の柔らかい陽光を受けて、池の水面は新しい季節の準備をするようにキラキラと音もなく輝いている。
彼女が七色の羽をしていると指差したのは、その池に浮かぶカルガモのことだった。
僕には全身が茶褐色をした普通のカルガモに見えるのだけど、彼女には確かに七色に見えているのだろう。
彼女はある時を境に突拍子もないことを言うようになってしまった。

「あのペガサスの乗り物に乗って空を飛んでみたいな」

「イタチに首輪を付けて散歩させるなんて変わってるね」

「あそにの葉っぱの影に綺麗なビー玉がたくさん!」

そんな時の僕の反応は「うん」とか「そうだね」とか相槌を打つだけだ。
池に浮かぶスワンボート、チワワを散歩させている人、葉の茂みに溜まった雨の雫。
多分、それらのことを彼女は言っているんだろうと思う。

僕には彼女の見えているものは見えない。
僕の見ている世界と、彼女の見ている世界はある時から違ってしまったのだ。
それは1年前の交通事故。
一命は取り止めたものの、その事故で彼女は脳に大きな障害を残すこととなってしまった。
医者からは脳の認識を司る部分は手術のしようがないので、彼女は一生このままの可能性が高いと言われた。
身体に大きな怪我が無かっただけ奇跡だと言われたけど、僕はきっとまた彼女が僕と同じ世界に帰って来てくれると信じている。
それはいつになるかわからないけれど、一生かかってでも僕は彼女を守っていくつもりだ。
僕が好きな彼女の無邪気な笑顔は事故の前と全く変わっていないのだから。


「すいませーん、ボール取ってくださーい!」

振り返ると野球帽を被った少年がこちらに向けて手を振っている。

「あ、ボール・・・」

彼女はそう呟くと自分の足元に転がってきたそれを拾い上げて僕に手渡した。

「投げ返してあげて」

僕は受け取ったそれをマジマジと見つめてみたが、それはボールには見えなかった。
どう見てもこれは亀の子たわしだ。
しかし、彼女にはこれがボールに見えているのだ。
彼女の笑顔が輝きを失わないためにも、ここで僕がそれを否定するわけにはいかない。
その時、不意に背筋をざらざらとした舌で舐められたようなゾッとする空恐ろしい奇妙な感覚に襲われた。

何かがおかしい。

少年はボールを取って下さいと言った。

彼女もボールが転がってきたと言った。

僕にはボールではなくたわしに見える。

これはどういうことなのだろうか。
あの少年も頭を怪我をしていて彼女と同じものが見えている。
そんな偶然はありえない。
これはどう見てもたわしだ。
二人は同じものが見えている。
見えていないのは僕だけ。
二人から担がれているのか。
いや、相手はいま会ったばかりの見ず知らずの子供だ。
それならまさか・・・
手の中のものをじっと見つめながら呆然と立ち尽くす僕を不思議そうに彼女が見つめる。

「早く投げ返してあげなよ」

僕の不安を察してか、その言葉の陰でほんの一瞬だけ彼女の表情が曇ったのを僕は見逃さなかった。
その時全てを理解した。
やはり僕が見ている世界と彼女が見ている世界は違うのだと。
この公園のもうすぐ春になろうとする活力に溢れた木々たちも、太陽の光を反射させて銀色に輝く美しい池の水面も、そこで趣味を嗜む様々な人々も、僕がいま見ている世界は全て僕だけの世界。
世界が交錯していないのは彼女の方ではなく僕のほうだったのだ。

では、彼女が事故に遭ったという記憶も偽物の記憶なのだろうか。
いや、もはやそんなことはどうでも良かった。
ただ、世界の全てが交わらなかったとしても、いま見ている彼女の笑顔だけが本物であればそれでいい。
そんなことを思いながら僕は渡された"ボール"を力なく握った。
僕を見て微笑む彼女の中の世界でも、彼女は僕に笑顔を見せてくれているのだろうか。
例えそうでなくても、僕の世界の中では、彼女の笑顔は真実だった。
誰とも交錯しない世界だとしても、僕の世界だけは僕を裏切らない。
そう考えると少し救われたような気がして、"ボール"を握り締めた右手に少しだけ力を入れて、メジャーリーグの投手のように大きく振り被り少年の方へと投げ返した。
山なりに投げられた"ボール"は空中で何回転かすると、ワンバウンドをして少年のもとへと無事戻って行った。

「ありがとうございましたー!」

少年の澄んだ声が気持ちよく辺りに響く。
隣を見ると僕の世界の彼女が僕の大好きな笑顔で微笑みかけてくれていた。
by earll73 | 2009-03-18 19:41 | 散文
<< 幸福論 ドンマイ警部のパラレル事件簿 ... >>