満開の桜が散り始める季節にこの浜辺に立つと、思い出されるのは隊に所属していたあの頃のこと。
「右向け左!」
教官の雄叫びのような号令が桜満開の砂浜に響く。
僕以外の隊員は2進数の0と1のようにひとつの例外もなく号令通りに動く。
「こら、貴様、そっちは四次元だろ!」
入隊してから3年も経つのに、僕だけがまだその号令に慣れずにいていつも教官に怒鳴られていた。
その度に左手に持たされている1/4カットのキャベツが「ケケケ」と笑う。
晴れ時々夢気分のような天気の日でもこの季節の海風はまだ冷たい。
そんな海風は僕が失敗する度に、砂浜に散った花びらを巻き込んで火照った頬をやさしく包んでくれた。
僕らの隊の教官は牛山田さんと言って、頭に角があったり、鼻輪をしていたりと、誰もが思い浮かべる典型的な「牛山田」のイメージ通りの人だった。
怒るととても怖かったけれど、ポップコーンが大好きな人で、ひと時もポップコーンの菓子袋を手放さなかった。
その割にはポップコーンという単語がうまく発音出来ずにいつもポッコーン、ポッコーンと言っていたのが可笑しかった。
「俺はポッコーンと共に生き、ポッコーンと共に死ぬ」
かっこいい台詞を言っているようだけど「ポッコーン」では何だか締まらない。
教官にはよく怒られていたけれど、不思議と嫌いではなかった。
その牛山田教官が最近亡くなったのだと読みかけの文庫本のあとがきで知った。
死因は分からない。
けれどあの人のことだから自分の信念に基づいて「ポッコーン」と共に死んでいったのだと思う。
自分の信念に基づいて死んでいった男の魂を誰が笑えるだろうか。
桜の木の下に腰を下ろし、さっき売店で買ったポップコーンの袋を荒っぽく開けてやみくもに頬張る。
ちょっと味が濃いように感じたけれど、きっとそれは塩味のせいだけじゃない気がする。
視線を海に移すと、沖のほうに停泊している漁船から紫の煙が出ているのが見える。
きっとギターでも弾いているのだろう。
いつの間にか僕の隣に三匹のこぶたが座ってミャーミャー鳴いている。
きび団子を与えるかのようにこぶた達にポップコーンをあげると、残りは右手にひと掴みし、海の青さよりもだいぶ淡い色をした空に撒いた。
さざ波の音と共に強い春風が吹いて桜の枝から花びらを奪っていく。
その風に乗ってポップコーンも空に舞い上がる。
舞い上がったポップコーンは雲ひとつない空にある文字を浮かび上がらせた。
それは教官から出来の悪い教え子への最後のメッセージだったのかもしれない。
「ハニラ」
空に描かれた文字の意味は全く分からない。
もしかしたらその文字はハニラではなくハニワだったのかも、バニラだったのかもしれない。
どちらにしろ意味は分からないけれど。
目線を空から水平線に落とすと、砂浜は緑一面のキャベツ畑に変わっていた。
空に舞ったポップコーンはモンシロチョウになり、ひらひらと優雅に羽根を羽ばたかせている。
そうか、どうやら僕はあの頃からずっと四次元の方を向いたままだったのか。
ハニラの答えはわからなかったけれど、教官の「右向け左!」の声はいつまでもこの浜辺に残ったまま僕が来るのを待っていたのだ。
また力強く儚い春の風が吹いて桜の花びらが辺り一面に舞い上がる。
その桜吹雪のぼんやりとした視界の先には、新緑の季節が今まさに飛び出そうと、スタートテープを切ろうとしていていた。